出雲国庁・国分寺跡などがある松江市東部は意宇(おう)の里と呼ばれ、かつて古代出雲国の中心地でした。
六所神社は、眞名井神、熊野大社、揖夜神社、八重垣神社、神魂神社とともに意宇六社と呼ばれ、とりわけ六所神社は出雲国庁に隣接し、出雲国総社として崇敬されました。
伊弊諾尊、伊弉冉尊、天照大神、月夜見尊、素盞嗚尊、大巳貴尊の六柱の神を祭神としており、それが名前の由来ともいわれれます。
また「佐陀大社縁起」には、神在月に全国の神々はまず六所神社へ集合され、その後佐太神社へ移動されると書かれており、重要な位置の神社だったことがうかがえます。