2025年後半のNHK朝ドラ「ばけばけ」は小泉八雲とその妻セツをモデルとした物語です。
明治時代初期の松江で二人はどのように出会い、また暮らしていたのか。
小泉八雲とセツの島根での1年3ヶ月の軌跡をたどってみます。
小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンは、1850年にアイルランド出身の父と、ギリシャ人の母の間に誕生しました。
幼い頃に両親は離婚、また事故で左目を失明し、さらに八雲を引き取って育てた大叔母の破産など、苦労多い幼少期を過ごします。
19歳で単身アメリカへ渡るも苦労は続きますが、やがてジャーナリストとして認められるようになります。
ニューオリンズの万博で日本文化に出合い、また英訳された『古事記』を読んでさらに日本に興味を深め、1890年ついに出版社の通信員として日本の土を踏みます。
しかし出版社とのトラブルから通信員の契約は破棄、結局不思議な縁で八雲は尋常中学校の英語教師として島根県に赴任することになります。
同年8月に松江大橋南詰にあった船着き場に汽船で到着し、大橋川沿いの富田旅館に約3ヶ月宿泊します。
この時体験した松江の光景を、八雲は『神々の国の首都』の中で鮮やかな記憶として記しています。
米屋が米をつくにぶい音で目覚め、しばらくすると寺の鐘の音がゴーン、ゴーンと町の空に響きます。
朝日に輝く大橋川の水面は宍道湖へとつながっており、はるかむこうには霞たなびく山並み。
川岸で朝日に向かって柏手を打つ音、そして松江大橋を渡って行き来する人々の下駄の音の響きなど、忘れがたい感動をもって描いています。
下駄の音こそ響きませんが、八雲が見た光景は今も松江大橋とともに残っています。
■住所:島根県松江市白瀉本町・末次本町
■問合せ:0852-55-5214(松江市観光振興課)
その後八雲は、住み込みの女中として働くようになったセツと一緒に、松江城北側のお堀のほとりにある武家屋敷に移り住みます。
侍の屋敷に住みたいという念願がかない、また小さいながらも立派な庭園もあって、八雲はたいそう気に入っていたようです。
この屋敷は当時のまま保存され、現在小泉八雲旧居として公開されています。
八雲が愛した枯山水の庭園や、執筆用に特注した背の高い机など、当時の面影が残る屋敷を眺めながら、言葉や文化の壁を越えて信頼と愛情を育んでいった二人の暮らしに思いを馳せることができます。
■住所:島根県松江市北堀町315
■問合せ:0852-23-0714
松江城の堀端から周辺を散歩するのが、八雲の日課であり日々の楽しみでした。
八雲の目には、黒々とそびえ立つ威容をたたえた松江城は、巨大な怪物のような姿として映っていたようです。
堀沿いの塩見縄手には今も武家屋敷など江戸時代の面影が残ります。
城下町の風情をのんびり楽しめる堀川遊覧船も人気です。
■住所:島根県松江市殿町1-5
■問合せ:0852-21-4030
城山稲荷神社は、初代松江藩主・松平直政によって勧請されました。
境内には1000体以上、八雲の当時は2000体以上の狐の石像があり、八雲の散歩コースの中でもお気に入りの場所でした。
城山稲荷神社について八雲がこんな伝説を紹介しています。
直政公が松江に入城した際に「稲荷新左衛門」と名乗る一人の美少年が現れ、「住居を用意してくれれば火難から守る」と約束して姿を消し、そうして建てられたのが城山稲荷神社だといわれます。
城山稲荷神社の火災除けのお札のご利益に感謝して、多くの人々が狐像を奉納するようになったとか。
八雲は一つ一つ表情が異なる石狐に見入っては素朴な魅力を感じていたようです。
■住所:島根県松江市殿町477
■問合せ:0852-21-1389
アジサイ寺として有名な月照寺も八雲お気に入りの場所の一つでした。
月照寺は松江藩主松平家の菩提寺で、六代藩主の寿蔵碑は巨大な亀の石像を台座として建てられています。
この大亀が夜な夜な町へ出没したという伝説が八雲によって紹介されました。
梅雨時には約3万本のアジサイが咲き誇ります。
■住所:島根県松江市外中原町179
■問合せ:0852-21-6056
『神々の国の首都』の中で八雲が紹介している、松江の町に響く鐘の音はこの洞光寺のものでした。
洞光寺は元々、広瀬町の月山富田城下にあったと伝えられ、毛利元就の好敵手・尼子家を開基とする曹洞宗の寺です。
■住所:島根県松江市新町832
■問合せ:0852-21-5807
加賀の潜戸は、日本海の荒波による海食作用でできた島根半島の海食洞門で、新潜戸は波の穏やかな日には遊覧船で見学できます。
旧潜戸は奥行き約50mの洞穴で、幼くして亡くなった子ども達が父母のために石を積むという賽の河原伝説があり、独特なスピリチュアルな雰囲気が漂います。
かねてから行きたかった場所の一つとして、八雲はセツと一緒に訪れ、「これ以上に美しい海の洞窟はない」と絶賛しました。
生い立ちの影響からか、八雲は子どもの魂に対して特別な感情があったようで、旧潜戸の賽の河原に深い関心を示しています。
■住所:島根県松江市島根町加賀
■問合せ:0852-55-5722(松江観光協会島根町支部)
八雲は美保神社や美保関の町を気に入って三度も訪れています。
美保神社は美保湾を望む場所に建ち、大社造りの本殿が二つ並ぶ珍しい形式の社殿です。
祭神が音楽にゆかりが深い神様と言われ、様々な楽器が奉納されています。
セツとともに宿泊した船宿「島屋」の跡地が、小泉八雲記念公園として整備され記念碑が建っています。
■住所:島根県松江市美保関町美保関608
■問合せ:0852-73-0506
1890年9月、八雲は外国人として初めて出雲大社への昇殿を許されます。
アメリカ時代に英訳された『古事記』を読み、出雲神話に深い関心を持った八雲は、日本人の古代信仰が息づいている神道の中心にふれたことで、大きな感銘を受けました。
翌年には、八雲はセツや友人の西田千太郎とともに大社の町に半月ばかり滞在し、出雲大社や日御碕神社へ参拝したり、稲佐の浜で海水浴を楽しんだりしました。
■住所:島根県出雲市大社町杵築東195
■問合せ:0853-53-3100